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人生に絶望して泣きじゃくった夜


深夜ですが、たった今までに起きたことを忘れないうちに書き記そうと思います。
完全に自分の備忘録ですが、
「人生に絶望して死にたいと泣きじゃくってから立ち直るまでの軌跡」
ということで、先程までの数時間に起きたことを書き殴っていきます。



本日、前回の記事でお話しした新しい職場にて、来月いっぱいでの解雇通知がされました。
因みに理由は、会社の運営形態の変化により、より出勤日数の多い人を雇うため、だそうな。
以前、「もう少し出勤日数を増やせないか」と打診がありまして、
自分の体調と掛け持ちしているもう一つの仕事との関係でこれ以上は無理だ、
と伝えた矢先のことでした。
まさかこのこととはおもわなんだ。

それを言われたのが終業後だったのですが、
まあお察しの通り、絶望しながら帰路についたわけです。
帰宅中ずーっとぐるぐるぐるぐるあてもない思考が空回りしていました。
何を考えていたのかも覚えていません。
で、帰宅後、両親にこのことを伝えたのをきっかけに、
自分の中の何かが決壊しました。

ただでさえ少ない収入が減ることに対する不安、
働きやすいように働いていいと言ってくれた過去の言葉に対する八つ当たり的な怒り、
誰もそうは言っていないけど、今までの自分の頑張りを否定されたような憤り、
そんなものがあとからあとから止めどなくあふれ出してきました。
勿論、そんなことを両親に言ったところで八つ当たりもいいところだし、
職場側だってそこまでは言っていないし、仕方のないことです。
それでも、一同こうなってしまったら理屈なんて頭で考えられません。

わんやわんやと問答をしていくうち、働く意味がわからなくなってしまいました。
働いたところで何の意味があるというのか。
父曰く、「働くとは社会的居場所を得ること」。
然り。冷静になってみれば至極真っ当な答えです。が。
負の感情にとらわれている自分にとってそんなのは何の慰めにもなりません。
社会的居場所なんてあったところで何の意味もない。
自分の代わりなんていくらでもいる。自分がやらなきゃ困る事なんてない。
誰からも必要とされていないのに、生きる意味なんてあるのか。
こんな時代未来に希望なんて持てやしないし、
そもそも自分には何もない。
「もっと何も持っていない人だっている」という言葉に対して、
「生きたいのに生きられない人がいるから生きなきゃいけない、なんて理論が通るなら、
死にたいのに死ねない人がいるから死んでもいいじゃないか」と応える。
そしてまたいつもみたいに「死にたい」という感情が全思考を奪っていく。

何も言わずに寄り添ってくれている母のぬくもりで、
徐々に爆発していた負の感情が収まってきました。
しかし、社会や自分に対する怒りが、自分に対しての虚しさに変化しただけ。
出来損ないに生まれてごめんなさい
何も出来なくてごめんなさい
やりたいことがなくてごめんなさい
普通の人と同じように出来なくてごめんなさい

溢れ続ける涙と嗚咽の中で、だんだんと頭がぼーっとしてきました。
おそらく酸欠かと。まともに呼吸をしていなかったので。
でもそのお陰か、ふと思い出された言葉がひとつ。
「死なないでくれ」
何年も前に友人と交わしたたったひとつの約束。
そして思い至る。死にたい死にたいと叫び続けた日々の中で、死ねなかった理由は何か。
何度も自殺未遂をして、その度に生に踏みとどまった理由はいつも同じで。
死なない理由なんて、友達との約束ひとつで充分なのだと気づく。

さらに思い出す。大好きな彼の人の曲の一節。

   ”それでも死ななくてよかったと思う日がたまにあることを伝えたい”

美味しいものを食べたとき、
大好きな友人と再会したとき、
旅行に行って素敵な風景を見たとき、
「あぁ、生きててよかった」
と呟いた記憶が蘇る。
自分にも、死ななくてよかった、と思える瞬間があることに気づく。

   ”君が君を嫌いな理由を背負った君のまま成し遂げなくちゃ駄目だ”

自分が嫌いでどうしようもないから、自分には何もない、なんて卑下する。
自分が嫌いでしょうがないから、死んでしまいたい、と懇願する。
でも、その自分の頑張りを他人が誰も認めてくれないなら、
自分だけでも認めてあげなきゃ、頑張った自分があまりにもかわいそうだ。
だから、自分で自分を褒めてやる。
儂は精一杯頑張ったんだ
誰よりも努力したんだ
あの仕事を成し遂げたのは自分だけなんだ
馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、それを口にしたら涙が止まらなかった。
自分はただ、努力を認めてもらいたかっただけなんだ。
誰も自分を認めて褒めてくれないなら、自分で自分を褒めてやればいいじゃないか。
そういえば以前、カウンセリングの先生にそう言われていたことを思い出す。

   ”恒久的な欠落を愛してこその幸福だ”

自分には何もない。自分が出来ることは何もない。
けれど、人間誰しも何かしらの欠落はあるわけで。
だからこそ、足りない物がある自分は誰よりも人間らしいと誇ればいい。
それに自分にもできることはいろいろあるはずだ。
過去に人から褒められたことがあったじゃないか。まさにそれだ。
更に言えば、やりたいこと、やっていて楽しいことは必ずあるはずだ。
それらが金になるとは限らないけど、それをやってこそ自分らしい人生と言えるのだ。


そんな風に、どんどん過去の明るい記憶が蘇ってきました。
最終的に、
「儂を解雇したことを後悔すればいい!」
と言い放って、負の感情たちが完全に雲散霧消しました。
全く、こんな有能なバイトを解雇するなんて…と上から目線でいることにします。
図々しい?傲慢?
それで結構。儂みたいな人間は、もっともっと図太くていいんです。きっと。

それから、過去に歯科の主治医の先生から言われた言葉も思い出しました。
「人間は誰でも、何にでもなれる」
それになるために努力をすれば、誰だって何にだってなれる。
学業成績のいい人が全員医者や政治家になるわけじゃない。
逆にそういう人達がみんな学業成績がよかったわけじゃない。
要は、そうなるための努力をしたかどうか。
だから、何になりたいかわからない儂は、
”少しでも興味のあること、やってみたいことは何でも挑戦すべし”
ってこと。
それらはきっと金にはならないけど、儂という人間を形作ってくれるから。
ついでに、自分に出来ることを探すためのアドバイスをひとつ。
「誰かに褒めてもらえたことはメモしておこう」
記憶はすぐに消えてしまうので、文字として残しておくといいと思います。
人から褒められたことというのは、大抵自分ではどうということのないことです。
でも、端から見ればそれは長所たり得る。
そういうものを少しずつ集めていくと、
見失った自分というものが見えてくるのではないかと思います。


もう1時ですね。
明日も出かけるので寝ます。
どうか、よい夢を。

 
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