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他人の価値観で生きるのを辞めようと思った


12月から1月にかけての二ヶ月間、前の記事でも書いたとおり、
自分の好きなことを好きなようにやって生きてきました。
それでも何処かで引っかかるものがあって、
気持ちの晴れないまま今に至りました。
昨晩、猛烈にもの悲しいような空しいような、
突然胸に違和感を感じ、薬も飲まずに寝てしまいました。
そして、ここ最近、少なくとも1月から続いていた悪夢を、また見ました。
記憶している限りでも、年が明けてから悪い夢ばかりを見ます。
いい夢を見たことはほとんどありません。
そんな中で、昨日というか今日も嫌な夢を見て、
全身にびっしょりと汗をかきながら夜中に飛び起きました。
寝る前もずっとマイナスな思考が頭の中をぐるぐるして、
意味もなく涙ばかり流して寝付いたのですが、
夜中に悪夢にうなされて起きて、また意味もなくむせび泣きました。

正直、もう生きていることが辛くて仕方がないのです。いつものことなのですが。
好きなことをやっているときは楽しいし、
やり遂げたときの達成感はとても充実していて好きです。
けれどいつもどこかで
「金にならないことばかりやってどうするつもりなんだ」とか
「仕事もしていないくせにやりたいことばかりやって何様のつもりだ」とか
そんなことを考えずにはいられないのです。
働いてもいない、学生でもない、
そんな自分が嬉しさと楽しさにまみれて生きていていいのかと。

そんなよくわからない罪悪感と、
なにかしら働かなくてはと言う焦燥感とに苛まれ続けていました。
多分、そういう気持ちが、毎日の悪夢として出てきたのだと思います。
起きていても地獄、寝ていても地獄、心の安まる時なんてないのです。

それで今日、ここ最近は規則正しく朝起きていたのですが、
珍しく起き上がれずに、ずるずると昼過ぎまで寝たり起きたりまどろんだりを繰り返して、
水分と食事をとらないとと起きて、まあなんだかんだやっているうちに思ったこと。


今までの罪悪感も焦燥感も、全部、他人の価値観が基準じゃないか


生きるためには金が必要。わかる。
その金を何らかの形で稼がなければいけない。わかる。
けれどそれが出来ない。
社会に出て人の役に立って働いて金を得るという、
皆にとっての当たり前が出来ない。

金にならないことしか出来ない。
仕事もしていないのにのうのうと生きている。
それは全部、つまりは、社会的な体裁。
そればかりを気にしているから、そういう焦りや罪の意識が出てくる。

いわゆるサラリーマンのように会社に属して上司や同僚と共に仕事をすることも、
アルバイトとして社内の人間と関わりながら生きることも、
普通の人が当たり前にやっている生き方が出来ないということは、
もうこの数年で十分すぎるほどに痛感したことであります。

ならば。
その生き方を辞めてしまえばいい。

皆と同じような生き方を辞めればいいと思ったのです。
他人の価値観、社会の多数派の価値観、世間体、社会として言われる常識、
そういうもの全て投げ捨てて、
自分の価値観で、自分自身にとっての体裁を気にして、自分にとっての常識の中で、
生きていく。
それしか、自分の生きる道はないのだと思う。
だって他の人の生き方が出来ないのだから。他の人の当たり前が何も出来ないのだから。

だからもう、働いていないからどうのこうのとか、
好きなことばかりやってどうのこうのとか、
金にならないからどうのこうのとか、
生きるためには金が必要だとか、
そんな事全部放り出して、自分のやりたいように、他人にどう思われようと、
たとえそれが社会不適合者のレッテルを貼られることであっても、
たとえそれが社会を形成して生きる生き物にとって間違った生き方だとしても、
ならば儂は人間なんて生き物自体を辞めて、
ただ”儂”という生き物として、生きてやろうじゃないかと、
そう、まとまらない思考の中で思いました。

もう知らない。何も考えたくない。
心を殺してまで生きるくらいなら死んだ方がいい。
だから、人間としての自分は死んでもらって、
他人になんと言われようとも全部聞き流して、
自分としての生だけを全うしようと思います。

さようなら人類。
人間辞めます。
自分としてだけ生きていきます。

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