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むかしばなし


今回は、自分の昔話を。
「こんな人です」程度に。
相変わらず長いです。


■ 幼少期

その頃を知る先生が「こんなに純真無垢な子は見たことがない」
と仰ったほど、純粋で、真っ白だったようです。本人に自覚はないですが。
わんぱくでおてんばで、遊ぶことが大好きでした。
誰とでも仲良くなれた記憶があります。
この頃、姉の絵をまねして描き始めたのが、儂が絵を描き始めたきっかけです。


■ 小学生

低学年の頃、見知らぬ上級生に嫌な呼ばれ方をしたり、
中学年の頃、友達だと信じていた子に軽くいじめられたり、
6年生の頃、心ない先生の一言で6年間の夢が打ち砕かれたり、
純真だった子どもが黒く染まるには十分な経験をした気がします。
勿論、嫌なことばかりじゃなくて、いいことも沢山ありましたし、
未だに年賀状を交換するような友人にも出会えました。

いつだったか、担任の男性の先生を激怒させたことがありました。
それ以来、人の怒る声や喧嘩の声がやたらと怖くなりました。

人前に立つことは好きな方でした。
班長など人をまとめることも好きでした。
はちゃめちゃで元気な子どもだったと思います。
絵を描くのも相変わらず好きでした。


■ 中学生

”人をまとめる”、”人前に出る”というのがまだまだ好きでした。
生徒会もやったし、クラス委員もやりました。
色々なシーンで先生方から頼られました。
悪い気はしませんでしたし、それが自分のステータスのように思っていました。
学業もいい方で、それもステータスだと思っていました。
頑張った分だけ褒められるのが嬉しかったのだと思います。

演劇部に入りたくて、廃部になっていたので作り直そうとして、
2回チャレンジして、2回とも先生に裏切られる形で終わりました。
やっぱり悔しかったです。
結果的に美術部に入って、大好きな絵を沢山描いて。
他にも色々好き勝手やりました。楽しくてしょうがなかったです。
未だに親しくしてくれる友人達とも、美術部で出会いました。
一生ものの出会い、って本当にあるんですね。

高校は兄姉が通っていた学校にしか興味がありませんでした。
塾にも通っていましたが、結果として面接とディベート的なものだけで受かりました。


■ 高校生

何年も行きたかった念願の高校生活。楽しくないわけがない。
未だに、今までの人生で一番楽しかった時期だと思っています。
周りに何をとっても自分よりも上手な人が山ほどいて、
色んな挫折も味わいましたが、それでもいい思い出が遙かに勝っています。
長年望んでいた演劇部にも入れました。舞台が大好きでした。
部活も、行事も、交友関係も。2年までは相変わらず学業も頑張っていました。

2年の終わり。忘れもしない、終業式の日。
何の前触れもなく、突然。
人に会えなくなりました。
他人恐怖症とまではいかないのかもしれませんが、
あれほど楽しかった学校に行きたくないと思いました。
それどころか、家から一歩も出たくなかったです。
それでも何とか、最後の日だからと学校に行きましたが、
胸が押しつぶされそうで、はじけ飛びそうで。
その日から、不登校になりました。

家の庭にすら出られない日が何ヶ月も続きました。
そんな状態になってから何ヶ月かした頃、ようやっとカウンセリングに行きました。
「アイデンティティクライシス」と言われました。
要するに自分を見失っている状態。
薬は飲まず、とにかく休んで、様子を見ることに。
担任の先生に連絡を入れ、夏休み明けまで学校を休みました。

何もしない毎日を過ごしていましたが、
追い詰められるものがないので快適そのものでした。
勿論他人が怖いには怖いのですが。
そう言えばどうでもいいけど、この頃ラーメンズに出会ったような記憶が。
未だに大好きです。本公演まだかな。

3年の夏休み明けから、ぼちぼち登校するようになって、
なんやかんやありながらも、無事卒業できました。
しかしながらそんな状況だったために進学はできず。
現役での受験はそもそもしませんでした。(センターは経験しましたが)

他人の目を必要以上に気にしだしたのも、
自分に自信がなくなったのも、
人前に立つのが嫌で使いすぎるほど気力を使うようになったのも、
悪い方悪い方に考えるようになったのも、
全て、ここが始まりでした。
このとき、儂の性格が完全にひっくり返ってしまいました。
純粋なまま生きていけるような環境ではなかったのでしょう。


■ 浪人中

予備校に通っていましたが、友達はいませんでした。
警備員さんに挨拶をするだけで、一日の発声が終わりました。
高校の生活が色とりどりだった分、このときはただひたすら真っ黒な生活でした。
それまでの成績の良さが嘘のように、成績はがた落ちしました。
一番行きたかった大学は地方だったために断念し、
実家から通える範囲の大学を何校も何校も受けました。
結果、その中で行きたかったところにも手が届かず、
特に行きたくもないし興味もない大学に通うことになりました。


■ 大学

知り合いもいないし、そもそも興味もない。他人と会うのはまだ少し辛い。
そんな状況で友達などできるはずもなく、入学後1ヶ月は何をするにも一人でした。
4月下旬にサークルに入り、他学科他学部ながら友達が沢山できました。
先輩方もいい人ばかりで、ここでなら4年間やっていけるかもしれないと思いました。
先輩が大好きすぎて、毎年引退する度に号泣して笑われました。
それから3年の秋にサークルを引退するまで、
辛いことも嫌なことも沢山沢山ありましたが、
それでも楽しく充実した日を過ごすことができました。
先輩は勿論、同期や後輩にも恵まれていたのだと、終えた今になって思います。

学業は、研究室配属に有利になるから、という理由で頑張っていました。
入学してすぐ、行くならここがいい、という研究室があったので。
結果として成績は良かったのですが、試験前の付け焼き刃で稼いでいたので、
実際自分の身には何もついていませんでした。わかっていました。
希望の研究室にもすんなり入れましたが、その後のことは…
前回の記事を読んでいただければわかるかと思います。



そして今に至る。

絵を描くのが辛くなったのは、思えばいつからなんでしょう。
少なくとも高校の時は好きだったからそのあとなのかな。
あらゆることに対して、自分の出来無さを悔いる毎日です。
自分嫌いは治りません。治る気配もありません。
メンタル面も回復の兆しは見えず。
高校当時から通っている精神科の先生は「焦らず待ってみよう」と。
焦らず待ってみようと思います。
きっといつかはよくなると信じて。
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