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ペルソナを考える


死にたい死にたいと枕を濡らした日が、随分と昔のことのように感じます。
負の感情に覆われることが少なくなった今、
次に考えるのはこの先のこと、将来のこと。
宛てのない思考を思いつくままに。
そして気づいた、自分のやりたいことと為すべきと思うことについて。



鬱病、無職、引きこもり体質。
それが今の儂です。
そんな儂が、将来のことを考えるとぶつかる最大の壁は、
仕事、生活費を稼ぐ行為について。
ここで自分の生活や性質について思い返してみる。

儂は、朝決まった時間に起きることができません。
午前中には活動を開始しますが、寝床から起きる時間は日によってまちまち。
だから、決められた時間に出勤する、ということができません。

儂は、毎日決まった時間に決まったことをすることができません。
日によってやる気は大きく異なり、さながら波のようです。
その波に逆らって、理性で自分を説き伏せ行動を起こしたところで、
パフォーマンスは大幅に低下し、無駄に疲労がたまります。
しかも行動の仕上がりは大してよくありません。
だから、決められた時間内に決められた仕事をこなす、ということができません。

儂は、自分以外の何かのペースで行動することができません。
そもそも、楽しさや喜びなどを共有する目的以外で他者と関わるのが嫌いです。
仕事上の関係なんてものはストレス以外の何ものにもならず、
それが続けば体調を崩して、動けなくなります。
自分のペースで行動しないと、上述の通りパフォーマンスが低下し、疲労が蓄積します。
だから、誰かが決めた枠の中で動く、ということができません。

ここまでの通り、儂は「会社勤め」とか「雇用」とかができない性質のようです。
では、生活費を稼ぐためにはどうしたらいいのか。


個人事業主、というのが手っ取り早い方法な気がします。
それも業務を受注するようなものではない働き方。

偶々、身近なところに似たような性質を持ち、個人事業主として生活している人がいるので、
時々こういった話をします。

「仕事、というのがよくわからない」
「何をすれば金が稼げるのかわからない」

そのときに相手から言われた鍵となる言葉。

「ペルソナを考える」

ペルソナとは、マーケティングなどで用いられる用語で、
サービスや商品などの典型的なユーザー像のことを指します。
つまり、サービスや商品をどんな人に届けるのか、ということ。
そしてこの”人”は、年齢や職業や趣味だけでなく、
どんなライフスタイルの人物なのか、深く詳しく掘り下げるのがポイントだそうです。

「とは言ってもよくわからん」と白状したら、
「私はペルソナを”(過去の)自分”としている」と教えてもらいました。

「こういうものがあったらいいのに」とか
「今の自分にはこういうものが必要なんだけどな」とか
過去に自分が欲したものやこと。
そういうものはきっと他の誰かも必要とするに違いない。
少なくとも、世界の中でたった一人だとしても、過去の自分はそれが欲しかったのだから。

なるほど、それなら儂にも考えられるかもしれない。


かつて、自分が求めたものは何だっただろうか。

過去を振り返るのは、儂にとって苦痛を伴うものですが、
それでも、精神的に安定してきた今だからこそできることでもあります。
そして考える。考える。時々休みながら、考える。

行き着いた答えは、
「自分のような存在が世界に生きていてもいいのだと思えるようになりたい」
だから今の儂の為すべき事は、
「あの頃の自分を安心させてやること」

死にたがりで、他人が怖くて、人付き合いが嫌いで、自分のことが許せなくて、
働くことができなくて、親のすねをかじって、みんなと同じ事ができなくて、
絶望に身を焼かれながら、涙を垂れ流しながら、それでも生き延びてしまっている。
そんな自分を、「それでいいんだ」と肯定したい、認めてやりたい。

過去の自分を認め、肯定し、
「そういう悩みや思想を持つ奴が、他にもこの世に生きている」
ということを知らせてやりたい。

それだけで、過去の自分は、少しだけでも楽になれると思う。
楽になれたと思う。

だから儂は、無理に仕事をしたり、無理に他人と同じように働いたりせず、
自分のペースで、自分のやりたいことを、自分の思うままにやっていこうと思います。
こんなゆるい生き方をしているやつもいるんだと、
こんな生き方でも生きていけるんだと、証明するために。

多様性の時代です。
それならば、思考も思想も生き方も、ひとそれぞれでいいじゃない。

時代も、他者も、価値観も、常識も、みんな移り変わっていく。
今、多くの人に価値を見出されているものも、いつかは無価値になってしまうかもしれない。
逆に、今見向きもされないものが、いつか価値のあるものになるかもしれない。
そんな変化し続ける周囲に対応するのは、儂にはできない。
ならば、儂は、自分が価値を見出すことをやりつづけるしかないのです。
他者から無価値と断じられて生きていけなくなるのなら、素直に死んでやりますとも。
幸か不幸か、儂は儂という命に未練も何もないので、生きられないなら死にます。

でも、まだ、生きている。
それなら、好きなことをして、生きていきます。
儂の生は儂のものです。だから、儂は、儂の生を豊かにするために動きます。
その課程の産物に、他の誰かが価値を見出してくれたら重畳。


過去の自分、見ていますか。
貴方の果てにはこんな奴がいます。
まだ、生きています。
だから、大丈夫。
貴方は貴方のままで、その苦悩も絶望も抱えて、
貴方という命をその姿のまま、
愛することができなくても、認められなくても、
どうかありのままで、
このくそったれな世界を歩んでください。

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