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大腸がん事件簿


ここがしばらく動いていないということは、
精神面が比較的安定してきているということ。
それでも春の始まりのこの季節、少し不安定になることもあり。
まあ、それはさておき。

今回は精神面の話ではなく、
2019年夏から2020年2月まで続いた儂の個人的な一大事件についての記録です。

ものすごく長い記事になりますが、よろしくお願いします。
事の始まりは2019年6月中旬。
いつもと変わらない日常を過ごしていたところ、突然の下血。
便器の中が真っ赤に染まる光景は衝撃的でした。
とはいえ、出血した以外は痛みも違和感もなく、
何の前触れもなく起きた出来事に首をかしげておりました。
両親に「何か知らんが血が出た」と報告し、しばらく様子を見ることに。
その後、最初ほどの出血はありませんでしたが、血が混じることが続きました。
そして一週間ほど経ち、未だに症状が続いていたため病院に行くことにしました。
しかしながらどこで受診すればいいのか。肛門科?消化器科?
どちらも全くなじみがありませんで、とりあえず普段利用している内科へ。

「一週間くらい前にいきなり下血して、今も血が混じっているんですよね」
「痛みは?」
「無いです」
「そっかー。ちょっとお腹触ってもいい?」

ということで触診。予想通り、触っても叩いても痛みもなければ違和感もない。

「しこりとかも無いみたいだね」
「なんなんですかね」
「うーん……よくわからないけど、痔じゃないかな……」
「なるほど」
「うちは内視鏡検査はやってないからここまでしかわからないんだけど、
とりあえず大きい病院で詳しく調べてみる?」
「そっすね」

という割と軽めのノリで紹介状を書いて貰い、数日後、近くの総合病院の内科にて診察。

「下血したあと血便が続いているんですが」
「なるほど。ちょっと触診しますね」

前の病院と同じくお腹周りを触っても特に何も無し。
加えて肛門に指を突っ込まれ、出血具合の確認。

「確かにちょっと血が出ていますね」
「なんなんですかね」
「うーん……詳しく調べてみないことにはなんとも言えないですが、痔じゃないかな……」
「前のところでも同じように言われました」
「そうですよね……とりあえず念のため内視鏡検査しておきますか」
「そっすね」

と、こちらも深刻さの欠片もなくとりあえず内視鏡検査を受けることに。
「痔だと判明すればそれはそれで安心」という気持ちでした。

 
内視鏡検査の前日から検査食を食べ、
当日はモビプレップというクソまずい(※個人の感想です)下剤を決められた手順で1L飲み、
(最早トイレで飲んだ方がいいんじゃないかとか考えていました)
腸内すっからかんの状態でへろへろになりながら病院へ行き、
鎮痛剤を入れられながら大腸内視鏡検査を受けました。
検査中は、鎮痛剤のお陰で痛みはないのですが、
腸内に異物を入れられるわけで、なんとも不快な感覚でした。
正しく”はらわたをかき回される”感覚。
苦しいわけでもないのに息が詰まり、その度に「はい深呼吸してくださーい」と言われ、
『いや息したいのは山々なんだが、如何せんこの謎の気持ち悪い感触ががが』みたいな気持ち。

「大腸の一番奥までカメラが入ったので、今から抜きながら腸内見ていきますねー」

抜く時は先ほどまでの不快感は消え、特段違和感を覚えることもなく順調に進みました。
ところが、

「あれ、何かある」

カメラになにやら怪しい影。
ポリープらしきそれは意外と大きく、そのまま切除できるものではないそう。
詳しく調べるため組織だけ取り、そのまま検査は終了。
鎮痛剤が抜けるまでベッドで休んでから退室。

その日のうちに検査結果を聞くため、病院内でお昼を済ませて、いざ診察へ。
診察室に入り、内視鏡検査の画像を見ながら説明を受けました。

「悪い顔をした2~3センチくらい大きめのポリープがある」
画像を見れば、なるほど確かに。ごつごつとした赤い塊が写っていました。

「組織検査の詳しい結果はまだ出ていないけれど、悪性腫瘍であることはほぼ間違いない」
「いずれにせよ内視鏡では摘出できないので、外科手術になります」
「来週CT検査を受けて、そのまま外科の診察を受けてください」

その場で外科の担当医が決まり、CT検査と外科診察の日程が決まり、その日は帰宅。
この時点でもまだ「悪性腫瘍かーまあ手術で取れるならそれでいいや」と楽観。
それより「あの下剤はもう二度と飲みたくない」
「あれだけはもう勘弁してくれ」という気持ちの方が強く、
自分史上最悪の味覚の記憶にげっそりしていました。

 
一週間ほど経った7月1日。
予約通りCT検査を受け、外科外来へ。このときは母も同行していました。
先日撮った内視鏡の画像や撮りたてほやほやのCT画像を前に主治医の先生が一言。

「大腸がんです」

ショックを受けるとかパニックになるとか以前に、全く実感がわきませんでした。
「あ、そうなんすか、へぇ~」と他人事のような感覚。
元来、自分の病気や怪我に対して恐怖感や不安感を抱くことが極めて少ない性格故に、
このときも大して驚きもせず、淡々と話を聞いていました。

大腸がんの中でもS状結腸がんというもので、肛門に近い部分に悪性腫瘍があるとのこと。
腫瘍は悪性なので摘出する必要があり、
内視鏡では切除できないので、腹腔鏡手術になるということでした。
とはいえ比較的早期の状態で、転移もなく、このタイミングで発見できてよかった、と。

「手術、早いほうがいいですよね」

という先生の問いに対して儂より早く母が「お願いします」と即答。
おそらく儂が若い世代であることが一つの要因だったんだと思います。

そんなわけで、その場で入院日と手術日が決まり、
手術前検査の日程も決まり、手術の内容についての説明があり……
あれよあれよという間にいろんな事が決まって、いろんな事を聞いて、
その時だけは時間がものすごい速度で流れていくようでした。

帰宅の途中、母がしきりに「早めに見つかってよかった。不幸中の幸いだった」
と言っていたのを覚えています。
きっと本人よりも心が揺り動かされたのだと思います。

それに対して「そうだね」と返した儂ですが、
何故こんなにも、大きな病気であるにも関わらず、ほぼ無感情なのだろうかと考えていました。
多分、自分の命に対して未練とか惜しむ気持ちが少ないからでしょう。
ぶっちゃけた話、”早く見つかってよかった”と思っていなかった部分もあります。
この無感動な事がよいの悪いのか、儂にはわかりませんが、
とりあえずパニックにならなかったという点においてはよかったのかなと。

『先生に言われたことを、言われたとおりにやっていればいい』

がんという病気に対して儂ができることはそれだけで、
ならば儂にできることを正確にやっていくだけだと。
端から見れば腹をくくっているように見えたかもしれないですね。
実際は諦めに近い感情でしたが。
生きるも死ぬも儂にはどうすることもできないんだ、と。
それなら言われたことをやっていよう、と。
我ながらなんともネガティブな動機ですね!(笑)


 
さて、7月1日にがんの宣告を受けた儂。
実感がわかないというか、感情の起伏が大してないまま、手術前検査を終え、7月半ばに入院。
実は以前にも別の部位で手術を受けたことがあったので、
手術入院はこれが初めてではありませんでした。
そんな経験を生かし、入院生活を少しでも快適に過ごせるようあれこれ工夫して、
その甲斐あって特段不便も不満もなく、のんびりと毎日を過ごしていました。
食事も美味しかったです。

(持って行ったものは、本や雑誌、音楽プレーヤーとヘッドホン、落書きノートと画材類など。
病室でもスマホの利用ができたのでよくゲームもしていました。
他にも、儂はよく病室から出てラウンジとかで外を見ながらぼんやりすることが多いので、
看護師さん達に自分が今どこにいるかを示すための札をつくって置いていました。
身体が動かせる時にはストレッチや筋トレもしていました)

手術前日には色々と説明を受け、いざ当日。
手術室に行き、諸々の確認やら説明やらを受け、手術台の上へ。
硬膜外麻酔という背中の腰あたり?に入れる麻酔もやったのですが、
これを入れる時の体勢が難しいのなんの……
硬膜外麻酔もなんとか入れ、いろんな機器に繋がるいろんな管とかを装着され、
バスタオルを一枚身体にかけられたかと思うと、手術着をひんむかれ(全裸!!!)、
手術室に入った時から言われたとおりにしていましたが、全裸になった時から
『もうどうにでもしてくれー儂はまな板の上の鯉じゃーい』
と余計な思考を停止(笑)
今思えばこのときも、怖いとか不安とか全く感じなかったですね。
以前もそうだったので、やはり儂は医療行為に対してそういうのを感じにくい質らしいです。

「じゃあ点滴入れ始めますね」
という合図から、腕から麻酔が少しずつ入ってきて頭がぼんやりしてきて、
「気持ち悪さとか無いですかね?」
に対してふにゃふにゃしながら応答し、
「数秒の内に寝ちゃいますよー」
の言葉の直後にスコーンと寝落ち。そのあとの記憶はありません。

そして儂がすやすや寝ている内に手術は行われ――

 
ところで。
以前の手術の際に発覚した儂の性質、それは、

麻酔から覚める時の寝起きがくっっっっっっそ悪い事。

 
今回も例に漏れず、術後覚醒しかけた時に多少暴れ(首をぶんぶん振ったり大声を出したり)、
追い麻酔を入れられ(以前もそうだったので最早ここまでがテンプレ)、
もう一度おとなしくすやすやしたところで病室に運び込まれました。

麻酔後の寝起きの悪さについては、病院側に事前にお話ししていたのですが、
若い人ほどそういう傾向があるみたいです。
「だから大丈夫です!」と麻酔科の先生に元気に言われました。

手術当日は家族も来てくれていて、
麻酔から目覚め始めたら、いろいろと声をかけられました。
だが、追い麻酔を入れられているので眠い。とにかく儂は眠い。眠い!!
言われたことに反応はした気がしますが、正直あんまり覚えていないです。
なんなら『眠いからちょっと寝かせてくれよ』とか思っちゃっていました。
なんというか、眠りの波の一番深いところにいる時に無理矢理叩き起こされた時のような、
いわゆる「あんた今何時だと思ってるの!」「うーんあと五分だけ…」の時のような、
抗いようのない睡魔と、家族の声かけに応答しなきゃという意思のせめぎ合いですよ。

そして案の定二度寝に入り、その後の記憶は今はあまり覚えていませんが、
主治医の先生が来てくれたのだったか……誰かが何かをしていったのか……
夜中に目が覚めたりまた寝たりを繰り返した記憶はおぼろげにあるけれど……
とにもかくにも、無事に手術は終わり、次に完全覚醒したのは翌日だったように思います。

 
術後翌日は食事もなく、看護師さんに見守られながら着替えをしたり歩く練習をしたり。
腹腔鏡手術のために腹部に穴を五カ所(1~2cm程度)開けたのですが、
そのうち一つは、術後も体内の老廃物を出すため?に管が入ったまま。
つまり腹からチューブがにょろりと出ている状態。動きたくても動きづらい。
ベッドから起き上がってトイレに行くのが大変だった印象が強いです。
点滴も入れていたので身体から引きずる管が多いんですよね。

とはいえ手術の二日後には一人で歯磨きに行けたり、
食事はできないながらも栄養ドリンク(病院食として出されたもの)を飲んだり。
看護師さん曰く「二日目でこれだけできれば十分」とのこと。やったぜ。
その後も、やれることが徐々に増え、順調に回復。
不便といえば笑うと傷口が痛むことくらいで、のんびり気ままな快適生活でした。

そういえば、手術時に病院に来てくれていた家族から摘出した腫瘍について話が聞けまして、
手術直後、その家族は摘出したてほやほやの実物を見せてもらえたのだとか。
曰く、内視鏡で見たとおりの赤黒くごつごつした凶悪な顔をした数cmの塊。
腫瘍はそのまま検体検査に回されてしまったので、儂は実物を見ることなく終了。
見たかった……!

今回の手術では腫瘍の部分だけでなく周りのリンパ節もごっそり取り除くため、
腫瘍の前後10cm程度、全体としては20cmほど大腸の該当箇所を切除したことになります。
で、残った腸のそれぞれの切断部を縫い付けて、大腸全体が20cm程短くなったそうです。
いやしかし人体って凄い。腸の途中を切り取って残った部分を繋げただけで、
それで消化能力などに影響なく、身体的な不便もなく元と同じように活動できるなんて。
しぶとい、人間の身体は思っている以上にしぶとい。

はてさて、その後も爆速で回復に向かい、
食事も全粥などの消化のしやすいものが出始め、
量的な物足りなさを感じるほどにはもりもり食べ、
体力も筋力も落ちてしまっているので、毎日病棟の廊下をてくてく歩く日々。

術後6日目には最後まで残っていた腹の管が抜かれることに。
主治医の先生からは「プンッって一瞬で終わるから」と明るくいわれており、
当日管を抜きに来た先生にも「すぐ終わりますよー」と言われました。
そして完全に油断していた儂に待っていたのは、
腸の近くをずるずると太めの管が移動していく、なんとも気持ちの悪い感覚。
『オオオオオオ…!!!!』と絞り出すような悲鳴を心の中で上げながらなんとか耐える。
苦しさもありましたがそれ以上に不快、気持ち悪い。
結局、抜き始めから数十秒ほどで「抜き終わりましたよー」という声が掛かる。
全然一瞬じゃないしプンッでもないよ先生……
管の入っていた傷口は自然に塞がってしまうらしく、軽くガーゼが貼られるのみ。
やっぱり人体凄い。

術後8日目には退院。実にさくさくと進んだ入院生活でした。
この時点では多少の食事制限はあるものの、
(脂っこいものや繊維質のものなど消化しづらいものを控えるというもの)
それ以外は体力筋力が少し落ちているくらいで、ほぼ普段通りの日常に戻りました。


 
これで終わるはずだったんですけどね。


 
退院から10日ほど経ち、摘出した腫瘍の検体検査結果が出たと言うことで通院。
特に何も考えず診察室に入り、主治医の先生と対峙。

「詳しく調べてみたらね、ギリギリステージ3に分類されそうなんだよね」

……なんだって???

曰く、がんのステージ認定にはいくつかの指標があるらしく、
儂の場合はステージ2と3のちょうど間くらいなのだそう。
で、このステージによって何が違うのかというと、

「病院側としては、抗がん剤治療を推奨します」

目には見えない細胞レベルのがんがリンパ節などに残っている可能性がゼロではない、
それを根絶するためには抗がん剤治療が必要になる、とのこと。
なるほど、つまり、がんとの縁が完全に切れていないって事ね、勘弁してくれ。

抗がん剤治療を受けることによって、がんの再発率を大幅に下げることができるそうで、
治療も「3週に一回通院して点滴、2週間自宅で服薬、1週間休薬」という入院不要のもの。
そんなわけで特段拒否する理由もなかったので、

「じゃあ、抗がん剤治療受けます」

と軽く了承。
そのままの流れで、(既に入っている予定を考慮して)初回の点滴を受ける日程を決め、
化学療法の処置室で詳しい説明を受けました。

 
儂が受けた抗がん剤治療は”XELOX”と呼ばれる化学療法。
オキサリプラチンという注射薬とゼローダという飲み薬を併用する方法です。
1コース3週間で、コース初日にオキサリプラチンを点滴、
その日の夜からゼローダを1日2回、14日間服用し、
その後7日間の休薬をする、というのが1コースの流れ。これを8回、約6ヶ月に渡って行います。

抗がん剤治療で考慮しなければならないのが副作用。
がん細胞を死滅させる為の薬なので強くて当たり前、正常な細胞にも影響があって当然。
オキサリプラチンの主な副作用は末梢神経障害、つまり手足の痺れ。
ゼローダの主な副作用は手足症候群、つまり手足の肌荒れや痛み。
どちらの薬にも共通する主な副作用は消化器症状や骨髄抑制、
つまり吐き気や便秘や食欲不振、白血球や赤血球の減少に伴う抵抗力の低下。
その他にも、色々な症状が副作用として現れることがあるそうです。

副作用の現れ方は千差万別。全く出ない人もいれば複数の症状が強く出る人も。
儂の場合は、末梢神経障害・吐き気・骨髄抑制・倦怠感が主な症状として出ました。
逆に肌荒れはほとんどありませんでした。

 
8月中旬。
XELOX 1コース目。
点滴を入れている最中は特に何もなかったのですが、
入れ終わって歩き始めるとどことなくふらふらしている感じがありました。
病院の会計の時には手の感覚以上や痺れが自覚でき、ペンで文字が書きづらかったです。
末梢神経障害の一部として喉にも違和感が出ました。若干声がかすれていたのを覚えています。
しかしながら初めての点滴ということで副作用もそれほど強くは出ませんでした。
初めての感覚にわくわくさえしていました。
冷たいものを触ったり食べたりすると痺れが現れやすくなる、にもかかわらず、
点滴当日の夕飯にアイスクリームを食べて
「口の中が花火大会みたい!」とケラケラ笑っていました。
今思うと何やってたんだか……
ふらふら感は初日だけ、その後は1週間ほど軽い倦怠感が続き、
手や喉の感覚異常や痺れも数日~1週間くらいで治まりました。

XELOX 2コース目。
1コース目よりも倦怠感・末梢神経障害・吐き気が少し強く、少し長く(10日くらい)出ました。
手の痺れを軽減させるために、冷たいものを触る時には手袋を着用していました。
このあたりから少し味覚に変化があり、味の濃いものを好むようになりました。
お茶よりもココア、ソースや醤油がいつもより少し多め、と言った具合です。
味覚の変化が続いたのは手の痺れと同じくらいの期間だったと思います。
諸々の症状はありつつも、3週間のうち後半はほぼ何も無い状態で過ごせていました。

XELOX 3コース目。
前回の様子を考慮して吐き気止めの薬が変更になりました。
多少は楽になったようなそうでもないような。
点滴後から3日間ほど、点滴を入れた腕に痛みが出て(触れたり動かしたりするとビリビリくる)、
そのため片腕をなるべく使わないようにしていたので、入浴がちょっと大変でした。
倦怠感・末梢神経障害・吐き気はより強く、長く(2週間くらい)出ました。
喉の違和感に関しては3週間経っても微妙に残ったままで、
この頃から体温以下の飲食物の摂取を控えるようになりました。
喉の奥に砂利の塊があるような感覚で、
常温の水でさえ飲んだ時に嘔吐くような感触がありました。

倦怠感が激しい時は身体を起こしていられず、
手の痺れや感覚異常がある時はものを持つのも大変で何もできず、
喉の違和感のせいで飲食も思うようにできない、
それが一過性のものであると頭では理解しているのですが、流石にメンタルに響きました。
こうなることも理解して、承知した上での、自分ではできない医療行為であると、
理屈はわかっていても、しんどい。
今振り返れば、3コース目が一番精神的にも肉体的にもつらかったです。

XELOX 4コース目。
点滴前の血液検査で、好中球の数が少なくなってきていることが判明し、
オキサリプラチンとゼローダの量が幾分か減らされました。
点滴を入れたあとの腕の痛みは5日間ほど、
倦怠感と手の慢性的な痺れは10日間ほど続きました。
10月中旬ということもあり、空気が冷たくなってきていて、
しばらく素手でいると徐々に痺れてくるようになってしまったので、
この頃から、手の痺れの症状がある期間は常時手袋を着用するようにしていました。
この期間中に友人の結婚式に出席したのですが、ものを持つにも手が痺れてしまうので、
友人の許可を得て、披露宴の食事中にも手袋をつけさせて貰いました。
ふわふわしたものならまだ大丈夫なんですが、カトラリーは駄目でした…金属冷たいからね……
3週間が経過しても、喉の違和感と手の感覚異常(ものにふれると痺れる)は残ったままでした。

XELOX 5コース目。
4コース同様、腕の痛みは5日ほど、倦怠感と手の痺れは10日ほど続きました。
喉の違和感と手の感覚異常は日々弱まってはいくものの、なくなることはありませんでした。
なので常時手袋を着用。
それに追加して、気休め程度ではありましたが、首にタオルなどを巻いていました。
自分の症状の周期を把握していても、やはり点滴後1週間がしんどかったです。
倦怠感で身体を起こしているのがやっとだし、手は痺れていて何もできないし。
「この一週間を乗り切ればあとは楽になるから」と言い聞かせながら過ごしていました。
実際2週目以降は不便ではあれどそこそこ動けていたので、つらいばかりでもなかったです。

ところがここで予期せぬ事態が。
5コース目終了後、6回目の点滴を入れに通院し、いつもどおり血液検査を受けたら、
「好中球が少なすぎて点滴を入れられない」
主治医の先生からそう聞かされ、まじか、と。
オキサリプラチンの影響で減少した好中球は、日が経てば回復するものなのですが、
ここまで5回の点滴を経て、どうも回復が遅くなっているらしい。
「今日は入れられないので、一週間様子を見ましょう」
自由で(比較的)快適な時間が1週間増えたよやったね!だがしかし予定は狂うわけで。
三週間毎として色々な予定を立てていたので焦りましたね。
諸々の予定を調整しながら「言うて無職だから影響は最小限だよかった」と思っていました。

XELOX 6コース目。
1週間の延期の後、血液検査の結果を見ながら
「そこまで大幅に回復はしていないけど、ぎりぎり入れられるからやろう」
数値的には1週間前とほぼ変わらず、微妙に増えている気がする感じ。
しかし主治医の先生が言うのだから大丈夫なのだろう。これ以上延期されても困るし。
勿論オキサリプラチンの量は減りました。
そのお陰か、副作用が幾分か和らいだような感じもありました。
5コースではなくならなかった手の感覚異常は2週間でほぼ消えましたし、
倦怠感も5日ほどするとなくなりましたし。
ただ、末梢神経障害が遂に足にまで出ました。
風呂場の床に素足で触れた時に痺れを感じる、位の微妙なものではありましたが。
それも1週間もすればほぼ気にならなくなりました。
喉の違和感だけはずっと残っていたのかな。最後の方は本当に僅かなものだったと思います。

XELOX 7コース目。
クリスマスプレゼントはオキサリプラチンの点滴でした!嬉しいやら悲しいやら。
倦怠感・手の痺れ・手足の感覚異常・喉の違和感は症状も期間も6コースと同じくらい。
吐き気はほとんど症状が出なかったのですが、点滴部の痛みは少し長めの1週間ほど出ました。
ここに来て最大の問題は、2コース目あたりから続いていた味覚の変化。
温かいものしか喉を通らない状態で、味の薄いお茶類が飲みにくい、
そうなると必然、ココアやらノンカフェインのカフェオレやら甘いものを飲む、
さらには1週間ほど続く倦怠感により身体を動かすこともできない、するとどうなるか!
……激太りしました。
抗がん剤治療開始時よりも5kgくらい体重が増え、見た目にもぽっちゃりに拍車が掛かっている。
看護師さんからは「抗がん剤治療中は痩せていくより太っていくくらいの方がいいんだよ」と
お墨付きにも似た言葉をいただいてしまっていて、儂はどうしたらいいんだと困惑。
すると家族から「フレーバードティーを無糖で飲めばいいじゃん」とアドバイス。
なるほど、甘い香りはついているけれど砂糖は入っていない、
これなら味のあるものを飲みたい欲とこれ以上太りたくない理性が同居できる。天才か。
そんなわけで色々なフレーバーの紅茶(且つノンカフェイン)を飲んでみることに。
そしてこれが大正解。全く苦無く飲み続けることができました。ありがたや。
気づくのが遅すぎたことだけが悔やまれる……

XELOX 8コース目。遂に最後の3週間。
血液検査の結果を見、「好中球の下限値を僅かに下回っているけれど、やっちゃおう」
ということで、量を減らしつつも最後の点滴を無事に入れられました。
しかし好中球の数値が下限を下回った状態で入れたためか、
これまでの抗がん剤の成分が身体に蓄積しているせいか、
副作用はこれまでの7コースとは大分違った様子でした。
倦怠感は5日続き、その後、全身の感覚が鈍ったような、
身体に力が入りづらい状態が2日ほどありました。
寝ぼけているようなふにゃふにゃした感覚で、頭も上手く回りませんでした。
喉の違和感は1ヶ月ほどで大体治まりました。吐き気は全くなかったです。

手足の感覚異常と痺れについては、端的に言って症状が悪化しました。
最後の点滴から3ヶ月近く経った今も、手の指先と足(ふくらはぎ以下)に痺れが残っています。
かじかんでいるような、砂を踏んでいるような、ゴム手袋をはめているような感覚です。
これについては痺れ止めの薬を今も飲み続けており、主治医の先生や薬剤師さんからも、
「神経の回復には長い時間が掛かるので、気長に様子を見ましょう」とのことでした。
痺れがなくなるよりも、自分自身が痺れのある今の状態に慣れる方が早いかも知れません。

 
最後の点滴を入れてから1ヶ月後、CTや血液検査を行い、主治医の先生から一言。

「大丈夫そうです」

かくして半年にわたった大腸がん事件にひとまずの終止符が打たれたのでした。


 
抗がん剤による治療自体は終わりましたが、定期的な検査はこの先もしばらく必要なので、
まだまだ病院には幾度か行くことになります。
まあでも終わったからよし。

これまでの人生で、アレルギーやらインフルエンザやらおたふく風邪やらなんやかんやと、
覚えていられないほど治療を受け、数多の薬を服用してきた儂ですが、
今回ばかりは「もう二度とやりたくない」と思いました。しんどかった。
儂の場合、幸か不幸か無職の時期に抗がん剤治療を受けられたので、
生活面への支障はほぼありませんでしたし、
通院で治療が受けられたので、まだまだ楽な方なのでしょう。
あ、それでもモビプレップ(内視鏡検査時の下剤)だけは絶対にもう二度と、
もう二度と飲みたくないです。
抗がん剤治療中も「アレを飲むよりはマシ」と言いながらしんどさの中生き延びていました。
ほんと、あれだけはもう勘弁……(※あくまで個人の感想です)

 
抗がん剤治療と言っても、種類も方法も様々で、
副作用に至っては千差万別、千人いれば千通りある、というのが今回学んだこと。
他にも、がんは誰でもなり得るということ。

そして何よりも、

少しでも異常があったらとりあえず病院に行け

というのが最大の教訓です。
(※新型コロナウイルスが騒がれている今日においてはこの限りではありません)

”異常”というのは、”世間一般から見て”ではなく”自分の日常から見て”おかしなこと。
僅かな症状でも実はその裏に大病が潜んでいる可能性がある。
やっかいな病気だとしても早期発見できればやれることもその分増えるし、
完治する可能性も出てくる。
餅は餅屋、体調のことは医者に聞く。自己判断しない。
いたるところで語られるよくある言葉ですが、正しくその通り。
そのことを深く頭と心に刻みつけました。


 
さて、長々と続きましたが、儂の大腸がん事件記録は終了です。
おつきあいいただきありがとうございました。
手足の痺れや太りすぎ状態は未だ解決していませんが、それはそれ。ともあれ儂は元気です。
どうか皆様もお体お大事に。

 
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自分の中で自分が行方不明
自分らしい生き方を模索中

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