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何か残したくて生きる


卒業研究がいよいよ山場です。
二週間後に発表を控え、今は必死扱いて資料を作っています。
毎日毎日そのことばかりが頭を廻り、
寝ても休んでも疲れが取れません。
それでも、やらなければいけないから、やる。
エネルギーはとうの昔に底をついていますが、
なんとか、省エネ運転で生きています。

そんな日々の中、またamazarashiさんの曲を聴いていて思ったこと。
タイトルは「奇跡」という曲の歌詞より。

少し前、ドナーカードなるものが世に普及しました。
脳死状態になったとき、臓器提供をするかしないかの意思表示をするもの、だったはず。
儂は昔から自分のことが好きではなくて、名前も、身体も。
だから、自分の知らないところで、自分のいなくなった場所で、
自分の身体の一部だけが生き続けている、という状況が恐ろしいのです。
なので献血もやったことがありません。
もちろん、自分がそういうものをすることによって、
救える命があることはわかっています。
それでも。それでも儂は、それができない。
写真に撮られることも嫌いです。
これも、自分の意に反してあり続けるものだから。
今の時代、拡散、なんてこともありえますしね。

まあ、この件に関しては、正しいとか間違っているとかが無い上に、
各個人の主観で決めていいことですので。
これについてはあまりつっこまないでください。

さて、この辺から本題に入ります。

仮に自分が死んだ場合。理由はどうでもいいです。
儂は上にも書いたとおり、
写真とか、ビデオとか、そういう媒体で自分が残ることが嫌で仕方ありません。
それでも、儂がここに生きて、何かを感じて、何かを考えて、何かをした、
そういう、痕跡、とでもいうのでしょうか、
そういうものは、何か、残したい。
それは、他の誰かが実用するためのものではないかも知れない。
それでも。

今まで、そんなふうにしっかり考えたことはあまりないのですが、
多分、そういうことなのだと思います。
だから、何かを創る。

小さい頃から絵を描くことが好きでした。
理由は、多分、あまりないのでしょう。好きだったから、なんだと思います。
最近はめっきり描けなくなりましたが、それでも好きではあります。

人に言われなくても、昔から今まで続けていたことといえば、
やはり、文章を書くと言うこと。
それは小説であったり、詩歌であったり、脚本であったり、
時にはこうして日記という体だったりと、形は様々ですが。

何かを演じる、という楽しさに気づいたのは中学の時でした。
高校では、短い間でしたが、演劇部に入って、
大学では、ほんの少しですが、ドラマのキャストをやらせてもらったり、
今は、細々と、こえ部というSNSにちまちま投稿させていただいたり。
自分ではない誰か、を演じているときだけは、
写真も、ビデオも大歓迎です(笑)

つまり、そういうこと。
絵も、文字も、演技も、他にもたぶん色々。
自分本体ではなく、自分の中から出てきたもの。
そういうものを、残したい。
それが、儂にとって、生きる、ということなのかもしれません。

だからこれからも、どんな形になるかはわかりませんが、
何かを創る、ということは続けていくのだと思います。
それに固執したり、気負ったりしなくても。
というより、そうはなりたくない。
必要に迫られて何かを創ることが嫌いなので。
自由気ままに、気まぐれに、自分の中を表現していたいです。


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