0の切れ端
思っていること、考えていること、自分自身のこと。徒然なるままに。
無題
梅雨の頃は不安定になりやすい。
好きなこと。ものをつくること。
「ものをつくる」のは「たのしい」。
「たのしい」し、つくったものが「すき」だから、「ものをつくる」。
じゃあ「つくったものを公開する」のは何故?
人に見られても見られなくてもやることは変わらないのに、
公の場に見せるのは何故?人に見てもらいたいのか?
完成した時点で自己満足は達成されているのに?
人に見てもらってどうする、そもそも見られてもいないのに。
たぶん、深く考えない方がいいのだろう。
つくったからあげる、という一連の流れなんだ。きっと、多分。
そこに意味はあるのか、とか考えるとまた面倒だから。
でも本当に考えない方がいいのだろうか。
結局よくわからないから、思考を放棄する。
それは考えないことと同じような気がする。
なにをやってもうまくいかない。
なにをやっても、
満足感や、達成感や、楽しかった、嬉しかったより先に、
ああすればよかった、こうすればよかった、
ここがよくなかった、あそこがダメだった、
そういう反省でも後悔でもない嫌悪感があふれる。
それがすごく嫌で、何もやる気が起きなくなってしまう。
何もしていない時間が、それはそれで苦痛なので、
今やりたいことを考えるけど、
やりたいことなんてない。
そう言いながら、なんだかんだで日々を消化していく。
経済を回し続けろという。
いろんなひとたちが、仕事を辞めざるを得なくなるから。
でも、一文無しがどうやって経済を回すというの。
経済を回すためには金がいる。
金を得るとは、つまり他人と関わるということで、
人間嫌いで、人間嫌われで、
誰も信じられないし、自分も信じられないやつが、
他人となんて関わったってろくな事にはならなくて、
不信感を抱いてそんな自分に嫌気が差して、
楽しかったと笑ったって次の瞬間には自分だけだったんじゃないかって、
そんなことを考えてしまうやつが、
どうやって金を稼ぐというのか。
こたえもヒントも教えてくれないのに、
早くやれ、早くしろって急かすんだ。
それはあまりにも無責任ではなかろうか。
ああでもやっぱりお金は欲しい。
やりたいことをやるためにはやっぱりお金が必要なんだ。
稼がなきゃ稼がなきゃと急かしているのは、
周りじゃなくて自分じゃないか。
人間として生きられないのに人間として生きなきゃいけなくて、
人間を辞めるって言ったって、
自分以外がそれを認めてくれるはずもなくて
「今日も一日普通の人間のフリができて偉いね」
寝床に入る度、自分に言い聞かせる。
いろんなことを考えてしまうから、つらく、苦しくなってしまうんだ。
考えないで生きていくのがコツなんだろうけど、
生きるって考えることじゃないのかな。
考えないで生きていくってもうそれ死んでいるのと同義じゃないのかな。
考えないのに生きながらえる必要はどこにあるんだろう。
生きたいなんて願ってもないのに、
死ぬことは許されなくて、
死なせてくれと思ったって、
生き延びるしかなくて。
さよならって終われたらいいのに。
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零
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自分の中で自分が行方不明
自分らしい生き方を模索中
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