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現状 20160407


3月末日をもって無事に大学を卒業しました。
つい先日まで旅行に行っていたのですが、帰ってきてから喉の調子がどうもよろしくない。
それでも筋肉痛は治ったのでよかったです。

というわけで新年度が開始しました。
ひとつの節目ということで、ここらで再び現状を整理していこうと思います。
今、この場に生きている一人の人間。

何度も挫折しそうになりながらも卒業研究をなんとかやり遂げ、
大嫌いだった大学から無事に解放されることになりました。
大学に通わなくてはいけないというプレッシャーやストレスは、完全になくなったわけです。
当然大学院には進んでいません。就職もしませんでした。
就活なんてやる余裕がなかった、というのがひとつの理由です。
薬は服用し続けていますが、鬱という状態は未だに収まってはいないようです。

毎日、何度も何度も躁鬱の波が来て、すこぶる調子のいいときもあれば、どん底もある。
でもやっぱり、平均よりも下で推移することの方が多いかな。
なかなか調子は上向かないですね。
何を考えても悪い方に行ってしまうし、
悲観、絶望、後悔、そんな負の感情ばかりが脳内を埋め尽くすことが殆どです。
”大学”というストレスから解放されたのに、今度は”社会人”という圧力に潰されています。

就職はしていないから、当然稼ぎはない。収入0です。
バイトもしていません。やらなければ、とは思うのですが、行動が出来ない。
ここでもきっと上手くいかないのだろうという諦め、知らない誰かに振り回される恐怖、
やりたいこともやらなければいけないことも出来ないほどお金がない現状、
そんなものが頭の中をぐるぐると駆け巡り、それだけで疲弊し、
結局、PCを閉じて布団にくるまるしかないのです。
以前父に、ハローワークに行ってみるよう助言をもらいました。
社会見学のつもりで、近いうちに行ってみようとは思っています。
これで現状が少しでもよくなればいいけれど。

収入がない状態でも支出は無くならないのが普通です。
趣味だけなら無理矢理にでも我慢すればどうにかなるけれど、そういうわけにもいかない。
人付き合い、生活に必要なものの購入、これだけは欲しいもの。
そもそも精神的な病気を回復させたいがために就職もせずに療養しているのに、
そんなことで心に負担をかけるなんて本末転倒なわけで。
だけど限りある資金、どうやりくりするか。そんなことばかり考える毎日です。
そして結局答えは出なくて、苦しくて、泣いて、布団にくるまるしかないのです。

間が悪いことに、儂はスギの花粉症持ちなので、窓も開けられない。
散歩なんてとてもじゃない。だから家からでないで引き籠もる。そんな生活です。
外出しないから体力がどんどんなくなっていく。
旅行に行ったかと思うと、3日間観光で歩いただけで体調を壊す。
そしてそれがなかなか治らない。まさに今の状態です。のどあめうまい
体力をつけないとなにもできないから、花粉シーズンが終わったら散歩に行こうと思います。
身体を動かすクセをつけないと、この先本当に何も出来なくなりそうで。

収入がない状態で実家に引き籠もっている、つまり親の臑を全力でかじって生きています。
それに対して引け目を感じたり、良心の呵責に悩まされたり、
自分はろくでもない人間だと感じたり、そういう思考はひとときたりとも無くなりません。
両親は「ゆっくり、少しずつやっていけばいいよ」と言ってくれますが、
この歳になって、大学も出させてもらって、その上引きこもりを養ってもらっているなんて、
何も思わない方が無理な話です。
「普通に動ける状態じゃないんだから」とは言われます。その通りです。
儂は今、名実共に”療養中”。そんなことはわかっています。
それでも、それに甘んじている自分に嫌気がさしてしまう。
そういう自分を受け入れられるようにならなきゃいけないんですよね。
どんな自分でも受け入れられるようにならなきゃいけない。
自分をゆるしてあげなきゃいけない。
頭ではわかっていても、そう上手く出来るものじゃない。
多分それが、儂にとって病気である状態なのだと思います。
自分と向き合う日々です。向き合って、しばらくもしないうちにどちらかが相手の頬を叩く。
そんな日々です。ゆるしてあげたいのに。


まわりの友人達は、大学院に行ったり、仕事をしていたり、
それに比べて自分は、実家で引き籠もって寝てばかりいる。
そんな状況を嫌がりながらも、何も出来ない。
自分をゆるしてあげたいのに、許すことも出来ない。
儂だってみんなみたいに普通に生きていたい。
仕事をして、お金を稼いで、稼いだお金で好きなことをして、
誰にも引け目を感じずに生きていたい、生きていきたい。
みんなが当たり前に出来るそれさえもできない。
つらい、苦しい、悲しい、もうやめにしたい、全部全部やめにしたい。
それでも生きなきゃいけない。死にたくても生きなきゃいけない。
そうやって毎日毎日、一秒も欠かさずに考えて、ぐちゃぐちゃになって、
布団の中で涙を流すことしかできないんです。
端から見ればただのニートだ。そんなことはわかっている。
だけど儂の中身を何も知らないくせに、サボっているだの羨ましいだの言ってくれるな。
変われるもんなら変わりてえ。交換してくれるなら心も体も交換してくれ。
他人と同じにはなりたくないが、人並みの生活はしていたい。
そんな願いさえ儂にとっては雲を掴むような話なわけで。


それでも儂は生きています。
「死にたい」は、今もまだ離れてはくれません。


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