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肩書きに縛られない生き方を


今日、amazarashiというバンドのライヴに行ってきました。
3Dでした。予想以上に飛び出してきて吃驚しました。
amazarashiさんについては公式サイトを見ていただければと思います(布教活動)

この方々に出会ったのはもう4年くらい前のことなのですが、
初めて聴いた楽曲から、今に至るまで、何十という曲を聴いていて、
毎度毎度、褪せることなく、
その詩に、深く深く感動するのです。
感動というか、なんていうのかな、
自分のことを言われているような気がしたり、
励まされているような気がしたり、
自分の存在を認めてもらえているような気がしたり…
とにかく、こう、生きる気力をいただいているんですよ。
詩も、曲も。すごく好きです。大好きです。

そんなライヴで聞いた新曲に感化されて、
今日は「肩書き」について書こうと思います。


一人の人間がいたとして、その人には
時と、場所と、状況によって様々な肩書きが生まれます。
今の儂で言えば ”大学生” になるんでしょうね。
場合によっては ”一浪した大学生” かもしれない。
もしもバイトをしていれば ”アルバイト” とか ”店員” とか。
以前塾の講師のバイトをしていたこともあったので、その時は ”先生” でしたね。

そんな感じで、一人の人間につき、肩書きというものは複数あるわけです。
でも、今日の楽曲の歌詞にもあったとおり
「そのうちのどれも、その人を説明するには不十分」なのです。
どれかだけでは表されない。
もっと言えば、「肩書きなんてもので人を表すことは出来ない」のです。
肩書きはあくまでもジャンル分けの材料に過ぎない。
だから、肩書きに縛られる、なんてあってはいけないことなのだと思います。

儂の尊敬するというか大好きな方がよくお話になることなのですが、
やりたいことをやっていたら今のようになった、そうです。
だから、仕事を表現するいわゆる職名がないのだそう。
よく「自分という仕事をしている」みたいなことを仰っています。

それを見る度に、なんとなく、
かっこいいな、って思ってしまうのです。

既にある、誰かが作った枠組みに入るのではなく、
自分のやりたいこと、やろうと思うことをやって、
他の誰でもない、他の誰にも出来ない仕事をする。

それが、酷く格好いいものに思えて仕方がないのです。

だから、いつか、いつになるかわからないけれど、いつかの将来は、
今はない、誰でもない、自分自身の、仕事をしたいな。って思うのです。
肩書きなんて、後から付いてくるし、寧ろいらないよ、くらいの気持ちで。
自由に、気ままに、やりたいように、生きていきたいなと。

それが簡単にできるほど、今の世の中は甘くないことはよく知っています。
周りの話を聞く度に、社会に対して絶望感しか感じません。

それでも。

この世の中で生きて行かなきゃいけないのなら。
どうせ生きていくなら、自分のやりたいようにやって生きていきたい。
野良猫上等。枠組みなんて知ったことか。
そんな気構えで生きていきたい。

今はない職業に就けたら、面白そうだなあ
しかもそれが、他の誰にもないものだったら、
それはきっと、たいそう面白いだろうなあ

そんなことを夢見つつ、
泥沼のような現実を生きています。

まだ死んでやらねえよ
残念だったな死にたがり
冥府に行くのはまだちょっと先でいい
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